(5)10年ぶりの面接

10年ぶりの面接当日。緊張しなかったといえば嘘になるが準備はしっかりしてきた。

あとは本番でそれを披露するだけだ。

15分早く某証券の入り口に到着すると、10分待ってから受付に向かった。

すぐに会議室エリアにあるソファのある応接室の一室に通された。

シンガポールの強い日差しが窓から応接室へ差し込んでいた。

 

しばらくすると今回の面接官であるI氏が部屋へ入ってきた。

簡単な自己紹介がおわると今回の募集についての説明になった。

 

I氏の話は簡単にいうと欧州系のいくつかの投資銀行がアジアのビジネスを縮小しているところへ、某証券がそのパイを取りにいこうという戦略で、それに伴ってそのビジネスをサポートする新設の部署の立ち上げをできる人を雇うという話だった。

 

これも違った意味でのイス取りゲームだが興味を引く話だった。

 

気になったのは欧州系の銀行が撤退する中、なぜM証券なら利益を確保できるかということだった。I氏の説明によると現地にある複数の企業とのパイプがあり、そのビジネス需要を見込んでとのことだった。

 

さて、ここからが本題だ。

その部署を作るにあたって、基本的な業務内容や難しい点などを質問してきた。

ここで大事なのは話の軸をつくることだ。

 

まずはその部署がなぜ必要かというところから始める。

もちろん相手も理解しているところだが、話の入り口へ一緒に入るためだ。

それから新設部署を作った場合の業務の流れや、難しいところなどへ話を移していき、監督官庁からつかれるポイントなども話していく。

徐々に必要な人員の話や、自分ならその立ち上げができるという点を織り交ぜていく。

 

ここまでで共通認識がある程度できれば大枠のプランもできたことになる。

 

一次面接はほぼ準備通りに終わり、その場で二次面接へすすむことが決まった。

 

 

 

(4)予想外の速さで面接へ

シンガポールはインフラが整備されていて、国民の教育水準も高く、税金も安い。さらに公用語が英語だ。それに加えて10年前は生活費や人件費などもいまほど高くなかった。そのため多くの投資銀行がここにアジアの拠点を築いて規模を拡大してきたが、人件費やその他のコストの上昇に伴って多くの銀行がインドやフィリピンへ仕事を移しシンガポールでの仕事は減り始めた。今回のリストラもその縮小の流れの一部だった。

当然、転職の「イス取りゲーム」も10年前にくらべて格段に厳しい状況だった。

外国人はビザの問題もあるため、イス取りゲームも更に厳しくなる。

 

そんな現状を痛感していたので面接までの道のりはある程度時間がかかると覚悟していた。

ところがメッセージを送った翌週、日本にいる「できるリクルーター」のR氏からシンガポールにある証券会社が新設の部署をつくるため人を探しているという連絡を受けた。仕事内容を聞くとやったことのある仕事でノウハウもあった。

 

「これならいけそうだ!」

 

すぐにR氏に連絡をとるとR氏は次の週にはそこの社長との面接をセットアップしてくれた。さすが手際がいい。

 

こんな貴重なチャンスは無駄にできない。早速面接に備えての準備をはじめた。面接はキャリアの中で百人以上やっている。どうやってふるいにかけるかも良くわかっている。

焦点は二つに絞った。

 

(1)自分がいままでやってきた仕事を簡潔に説明できるようにする。あたりまえだがWHYの説明が大切だ。ちなみにHOWに比重をおきすぎてしまうと経験上印象がよくない。

(2)新設の部署をつくる場合の自分なりのプラン。

 

まずは草稿を作ってから徐々にブラッシュアップしていく。スーツも新調していざ本番だ。

(3)これからの「生活」はどうするか?

「子供」の問題は解決したが、さらに重要な問題が残っている。

シンガポールでリストラされた外国人の一番の懸念はこれからの「生活」と「ビザ」だ。

 

あたりまえだが仕事がなくなれば収入もなくなる。

収入がなければ生活もできない。

なにより仕事がなくなるとビザが失効して国外退去させられる。

国外退去までは失職してからわずか1ヶ月の猶予しかない。

要するにリストラされ仕事が見つけられない外国人はシンガポールでの生活をすべて失うわけだ。

 

自業自得だ。

 

会社の給料だけに頼っていた自分が招いた結果だった。

ただし、やられたままで済ます気は無かった。

今度は自分から会社に見切りをつけられるようにならなければ気が済まない。

 

そうは言っても、今はまだ給料に頼らずに生活はできない。

そして現状はその給料に頼れるのもあと4ヶ月のみだ。

話し合うまでもなく、やらなければならないことは単純明快だったが、妻に次の三つのことにやることを伝えた。

 

(1)新しい仕事をみつける。

(2)家族でシンガポールの永住権を取る。

(3)給料以外からの副収入を得る。

 

どれも簡単ではないが、その難しさを話すのは時間の無駄に思えた。

そして(1)と(2)はすぐにやらなければならない。

 

私は妻に今から仕事を探す旨を伝えると、手始めに11年分の履歴書のアップデートをはじめた。それから他の銀行で働いている信頼できる友人や元上司、仕事のできるリクルーターのR氏へメッセージを送った。念のため、私は昔使っていたリクルーターもう1社へメッセージをいれてからLinkedInで仕事を探し始めた。

 

 

(2)タイムリミットは4ヶ月

リストラ宣告で落ち込んでいる暇はない。

生活、子供、ビザの問題を解決する時間は4ヶ月。

仕事はすぐに切り上げて帰宅した。

4時には家のリビングでこれからのプランを考えはじめていた。

 

あらかじめ翌日も休みをもらっていた。

ここ人生のターニングポイントだ。仕事などどうでもいい。

この日の数時間で2つのことを実感した。

 

(1)誰でもリストラされる

(2)会社は自分の人生を守ってくれない

 

当たり前のことだが、私自身リストラされるまで実感できなかった。

そんなことを考えていると妻が帰宅した。

私の姿を認めると開口一番叫ぶように

 

「どうしたの?」

 

一言の疑問文だが妻は状況をほぼ把握している。

こういう時は無駄な説明はいらない。直球でいい。

 

「リストラされたよ。これからのことを二人で話し合おう」

 

それを聞くと悔しさからかショックからか妻はポロポロ涙を流し始めた。

しばらく彼女を抱擁した。

 

妻は落ち着くと無言でベットルームへ入って行った。

しばらく落ち着きたいのかと思っていたが、すぐに戻ってきた。

手には預金通帳を持っていた。

 

「これ私のへそくり。使っていいわよ。」

 

通帳には学費二年分以上の預金が入っていた。これで子供の学資はほぼ賄える。

妻のおかげで「子供」の問題は解決した。

(1)50歳目前でリストラされお先真っ暗!

忘れもしない2019年7月某日。

50歳の誕生日まで数ヶ月のある日、私はシンガポールの某銀行に勤めて10年以上経っていた。

イギリス人のボスに突然たばこへ行こうと呼び出された。

普段はあまり吸わないが外で一息つきたくてつきあうことに

一階へ一緒に降りると、もらいたばこに火をつけて煙を吐き出した。

 

煙をくゆらせながらはじめは直前に終わったトレーニングの話をした。

ストレスをどうやってマネージするかという珍しいトレーニング。

興味深くいろいろ学ぶところがあった。

トレーナーはボス自身。彼女の長い経験からの話や瞑想の効果や実践、ネガティブなニュースをどうやって処理するか?など実践的なトレーニングだった。

そんな話をした後、唐突に彼女から仕事がインドへ移されることになったと伝えられた。

 

私「えっ?」

ボス「あなたの仕事も十一月でなくなるわよ。」

 

いきなり直前に受けたトレーニングを実践しなければならなくなった。

というかトレーニングからの一連の流れはこのリストラ宣告に直結していたと悟った。

 

仕事が正式になくなるとシンガポールの就労ビザは1ヶ月で失効。

国を強制的に出なければならなくなる。

 

借金は無かったが

子供もまだ大学卒業まであと二年残っていて留学中だ。

 

生活、子供、ビザの問題をどうにかしなければ・・・

タイムリミットは4ヶ月